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メジャープロフェッショナル

佐藤真海さん 1982年3月生
ショクギョウ:アスリート

宮城県気仙沼出身。陸上競技走り幅跳びの選手。仙台育英学園高校から早稲田大学を経て、2004年サントリー株式会社に入社。早稲田大学応援部チアリーダーズで活躍していた2002年に骨肉腫のために右足膝下を切断、以来義足の生活。2004年アテネパラリンピック9位。2008年北京パラリンピック出場決定。日々トレーニングに励む。

2008年5月4日、大阪保健福祉専門学校にて、学生・職員・入学希望者を対象に行われた佐藤さんの講演ならびにインタビューをご紹介します。

■佐藤さんの足を支えている義肢装具を制作する仕事情報はこちら
 http://www.syokutai.jp/job/detail/jb03790/gl/gl0014/gm0070/


 

大学生で骨肉腫を発症
早稲田大学に入学し、憧れのチアリーディング部で汗を流していた佐藤さん。友達にも恵まれ、充実した学生生活を送っていた矢先に、思わぬ試練に直面したそうです。
「そのときは違和感と少しの痛みを感じたくらいでした」
「チアリーディングの大会を目前に控えていたので、テーピングや湿布でごまかしながら練習を続けていました。でも、ジャンプするだけで右の足首に激痛が走るようになって」
仕方なく病院へ。レントゲン写真には、「骨の線がぼやけた、溶けたような骨が映っていました」
間もなく医師から「国立がんセンター」を紹介されることに。
「なぜ足首が痛いだけなのになぜ“がんセンター”なのか、正直戸惑いました。そして、きっと何かの間違いだろうと、まだ気軽に考えていた部分もあったと思います」
しかし担当医からは、
「おそらく骨肉腫でしょう。小児ガンの一種で、たちが悪いです。治療がうまくいっても、膝から下は残せません」という信じられない一言を告げられます。
佐藤さんの足首の痛みは単なるケガや故障ではなく、むしろ命さえも脅かす骨肉腫でした。理想的な学生生活は、一転します。

闘病生活を救った母の一言
「知ってますか?あんまり辛すぎると涙って出ないんですよ」
間もなく始まった抗ガン剤を打ち続ける闘病生活では吐き気や倦怠感に襲われ、右足を切断しなければならないかと思うと、精神的にも耐え難い日々。しかし佐藤さんは担当医の「義足をつければ日常生活には困らないし、運動もできる」という一言に気持ちを切り替え、3ヶ月後の手術を決断したのです。
「大学の仲間や家族が励ましてくれました。入院生活を分かち合えた仲間達もいました。おかげで人に支えられて生きている、愛されて生きていると感じられるようになっていきました」
佐藤さんの意志の強さの裏には、お母さんのこんな言葉があったそうです。
「何で私だけこんな目にあうのか・・・と悲観するばかりでしたが、母は『神様はその人が乗り越えられない試練は与えないんだよ』と教えてくれたんです。その一言に私は本当に救われました。そうか、これは私だから乗り越えられる試練なんだと思えるようになりました。母の一言には本当に感謝しています」
「感謝の気持ちが持てれば、幸せはすごく身近に存在していることに気付きます。日常の小さな事でもいい、美味しいものを食べて『ありがとう』。新しい出会いに『ありがとう』。気持ちの持ち方一つで幸せがたくさん増えていきますよ」

新たに見つけた舞台
苦渋の決断を下した佐藤さんは、手術を受け入れ、右足の膝から下を失いました。
「実は一度、先生に相談しました。足を切るのはどうしても避けられないのでしょうかと。ところが全身にガンが転移して手遅れになると言われ・・・。足を切断後もさらに6ヶ月、抗ガン剤治療が続きました」
周りの人に支えられ、前向きな気持ちがあっても、やはり、長く辛い入院生活。そんなとき、佐藤さんは「義足をつけたら走れる」という担当医の言葉を思い出します。
「私はこれまで水泳やマラソン、チアリーディングと、常に目標めがけて走ってきたスポーツ少女でした。今の私に、一体何ができるのだろうか、何か目標が欲しい、がむしゃらになれる熱い何かが欲しいと思っていて、たどりついた答えは、やっぱりスポーツでしたね(笑)」
「インターネットですぐにスポーツ施設の検索を始めました。障害者スポーツセンターというのを見つけ、実際に行ってみたんです。そこで出会ったのが、パラリンピック。身体障害者を対象とした世界最高峰のスポーツ競技大会に私も出てみたいと思うようになり、燃えるような熱い気持ちが湧き出て来ました」
佐藤さんに新たな夢が生まれ、笑顔を取り戻した瞬間です。

就職活動、そしてパラリンピック出場
「例え足を失っても、時間はいつもと同じように流れます。パラリンピック出場という夢はできましたが、毎日生きていかなければなりません。退院するとすぐ、周りの同級生と同じように、就職活動の時期を迎えました」
その一環で訪れた、サントリーの会社説明会。佐藤さんは、ある言葉に出会ったのです。
「やってみなはれ」という関西弁。
それはサントリーの創業者が発した「何でもやってみなさい」というチャレンジ精神で、「この会社ならやっていける。何だか合いそうというか、パラリンピックという新たな目標に出会った時と同じような熱い気持ちが湧き上がってきました」 すぐに佐藤さんはサントリーを志望し、無事に入社することに。
「入社1年目の9月には、アテネパラリンピックに出場を果たしました」
義足をつけた、初めてのパラリンピック走り幅跳び種目での出場でした。決勝には一歩及ばず9位という結果ながらも、確実にアスリートとしての自信と手応えを感じた佐藤さん。「夢を叶えることができました。そしてまた、北京という次の目標ができました」

仕事と陸上、2つのプレッシャー
目標があるだけに、佐藤さんは色々考える。
「サントリーにはアスリートとして入社したわけではありませんので、当然、社員としての仕事があります。練習時間をなかなか確保できなくて。後悔しない時間を過ごせているだろうか、今しかできないことをやれているだろうかと疑問を持つようになりました。あれこれ悩んだ末、クビを覚悟で(笑)会社に直談判することにしました」
「やってみなはれ」のサントリー。仕事とトレーニングの両立を希望した佐藤さんの願いは受け入れられ、サントリーが取り組む「キッズプログラム」の部署で、自然体験プログラムや工場見学、サントリーミュージアムやサントリーホールでのワークショップなどを企画・運営する仕事の傍ら、練習時間を確保できることに。
「講演活動や本の出版など、私にしかできないことをやらせてもらえる環境も与えてもらいました」
子供たちの“夢”や“挑戦する気持ち”を応援する社会貢献に携わることが、佐藤さんの次なるステージとなり、と同時にプレッシャーも。
「会社公認で週3回夕方から練習できるようにしていただいたので、陸上の方でもこれまで以上に結果を残さなければならないと思っています。先日、自己ベストの記録で北京パラリンピック出場を無事に決めましたが、北京出場が叶わなかったら会社に戻らず逃亡していたかもしれません(笑)そのくらい追い込んでました。」

北京、そして未来
佐藤さんには、もうひとつ夢があります。
「出会いをきっかけに広まり、集まった賛同者の皆さんで“HAPPY JAPAN PROJECT”という応援プロジェクトを作り、イベントを開催しました。今後も皆さんの力を借りながらパラリンピックの魅力を多くの人に伝えていきたいんです。そうして少しずつ知ってもらい、そこから課題の解決へ。まだまだ課題の多いパラリンピックですが、未来の子供たちの為にやっていくべきことがあると思っています。」
目前に迫る北京パラリンピックについては、「私にとって北京は、とても大切なチャレンジです。でもパラリンピックだけが目標や夢や人生じゃない。大きな夢であると同時に、人生における一つの通過点だと捉えています。これからも“私にしかできないこと”を常に意識して、『一歩一歩』歩んでいこうと思います」
最後に
「人生で大切なことが3つあると私は思っています。まず1つ目は、湧き上がる情熱を感じたとき、その気持ちを大切にして、夢を追い続けるということ。2つ目は、目の前のことを一生懸命頑張るということ。きっと明日の自分につながるはずです。そして最後の3つ目は、一つ一つの小さな事でも、みんなに対して“ありがとう”の気持ちを持ち続けることです」
そして、「ずいぶん長時間お話ししましたが、まだまだ私も現在進行形で、まずは自己記録を伸ばせるように頑張っていきます。メダル宣言をするタイプではありませんが、結果は後からついてくるはずです。応援してください。」
まっすぐに前を向いて語る佐藤さんの全身から、エネルギーが満ち溢れていました。

  ■佐藤さんの足を支えている義肢装具を制作する仕事情報はこちら
   http://www.syokutai.jp/job/detail/jb03790/gl/gl0014/gm0070/

 
 
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